現在、「国語力」は、日本語を母語としている人に向けて、「日本語力」は、日本語を外国語として学習している人に向けて使われることがほとんどです。

同時に、「国語教育」は、いわゆる日本の学校教育の授業で扱う「国語」、「日本語教育」というと、日本内外を問わず外国の人に日本語を教えることとなっています。そして、そのアプローチの仕方は別のものになっています。

「国語力」においては、言語構造についての知識やその使い方を客観的にトレーニングすることが少なくても、言語を使い続けることによって、その運用力が高まっていくという考えが根底にあるでしょう。

しかし、「日本語力」を身に着けてもらうためには、ひとつひとつの用法を明確に伝えていく必要があります。

近年では、日本語が母語である「国語」話者に対しても、「日本語教育」の視点をもった教育が必要になってきているのではないかと感じます。

それは、国語力を身に着けていく上で、日常の生活の中で触れたり使ったりする日本語量が圧倒的に少なくなってきていることに起因するのではないかと思うのです。

人は、「言語」を使い、考え、そしてそれを伝えていきます。もし色に「白」と「黒」の二つの言葉しかなかったら、必然的に世の中の全てをこの2つの言葉で表現するしかなくなります。「楽しい」という言葉をしなければ、その感情を表現することはできません。「語彙」「言葉」を多く持ち、それを運用する「言語力」を身に着けることは、これからの世の中を生き抜いていくためにかかすことのできないことなのです。

「国語」「日本語」の垣根を越えて、思考やコミュニケーションに必要となる「日本語の力」を高めていくための研究をしています。